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August 06, 2005

つ→罪→み

ill0806幼いコドモ同士が喧嘩をしたとき。
そばについているオトナはどうするか?
それぞれの言い分は受け止め、そしてお互いに相手を認めあい
相手の気持ちに立って考え、悪かったところは素直に謝って
「次からは気をつけようね。もうしないね。」と声をかける。

オトナ同士の喧嘩はどうだろう?
国と国との喧嘩はどうだろう?
お互い、自分の罪を潔く認めあえるだろうか。
素直に謝れるだろうか。
相手の立場に立ってモノを考えられるだろうか。

折しも、今日は戦後60年目の広島原爆投下の日。
多くの民間人が瞬時に命を落としていった日。
長い年月を経ても、被爆者の悲しみや苦しみが消えることがない。
被爆国日本。
しかし、その日本も戦争で他の国々の多くの人々を傷つけてきている事実。

世界では未だに国同士の争いが絶えず、戦争やテロにより
尊い命が吹き飛んでいる。

「一つの命の周りには家族が存在し、大切にはぐくんでいる生活や夢があるということ」

オトナになっていくうちに
どうして
素直に自分たちの罪を認めあってお互いのことを思いやる気持ちを失ってしまうのだろう。

これからオトナになるコドモたちの未来が平和であるように。
そのためにはどうしたらいいのかを
折々に考えていけたらと思う。

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Comments

昨晩のテレビで、原爆を設計した科学者を広島に呼んで
記念館を見せたり被爆者に会わせたり…という企画があった。
でも、もちろんアメリカ人のおじいちゃんが、自分の非を認めるわけでもなく、
被爆者に思いやりを示すでもなく、
最後には、「悪いのは私たちではなく、あなたがた(被爆者というより日本人だろう)だ、あなた方こそあやまるべきだ。リメンバー・パールハーバー」とのたまわった。
絶対に謝れる立場でも世代でも精神でもないおじいちゃんを日本に無理矢理連れてきてじわじわと責めるのもどうかと思うが、アメリカ人も頑固だよね。
でも、パールハーバーよりももっと悲惨な状況でベトナムや中東で多くのアメリカ人が戦死している今でも、まだ、彼らにとっては「リメンバー・パールハーバー」なのかと思うと、なんだかなあ…。

許すということ、どんなに違っていても相手を受け入れたりその立場を考えたりすること、それはお互いを知ることによって可能になっていくと思う。
もしかしたらその老科学者も、死ぬ前の一瞬、「やはり原爆は落とすべきではなかったのかもしれない」と、思ってくれるかもしれない。
日本に来なければ耳も目も閉ざしていたひとつの情報を知ったのだから。
そうであれば、この来日と対話にも意味があったのかもしれない。

未来の子供たちが、世界のさまざまな文化や風土や慣習について知る機会をできるだけ増やすこと、それが彼らを戦争から救う一助になるのではないかと思う。

今、ネット世代の子供たちは、ネットを通じて世界のさまざまな情報と通じている。どんどん繋がればいいと思う。
世界に心をひらける大人になって欲しいですよね。
結局、争いって、視野が狭くなってる時におこるよね、個人的にも世界的にも……。反省、ですな。

長くなってしまった、ゴメン

Posted by: naga | August 06, 2005 at 11:37 AM

nagaさん、こんばんは!コメントありがとうございます。

きっと原爆設計者が、自分の非を認めることは絶対にないのでしょう。もし、認めてしまったり謝ってしまったりしたら、これまで生きてきた自分の全てを否定することになるのだから。
特に公な場で認めることは絶対にないのでしょうね。
これまで、アメリカ本土で戦争がおこなわれていないから、戦争によって犠牲になった民間人とその家族の気持ち、世代を越えた恨みや悲しみというのがリアルに感じ取りづらいのでしょうか。

相手のことをよく知ろうとし、違いをうけとめ、認めあえることが大事なのかな・・

Posted by: mrk | August 07, 2005 at 12:20 AM

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